ヴリンダーヴァンに住むということは何を意味するのか

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 16節』

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朝、主クリシュナが牛を放牧するためにヴラジャを離れ、夕方戻って来る時に、ゴーピーたちが主の竹笛の音色を聞くと、少女たちはクリシュナを一目見ようとすぐに家から出て来ます。道を歩く主を見たり、慈悲の眼差しを投げかける主の微笑みをみることができるゴーピーたちは、きっと多くの敬虔な活動をしたに違いないわ。

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これはクリシュナの日課なわけです。クリシュナはバイシャであり、牛飼いです。

牛飼いの義務というのは、牛のお世話をするということ。

牛のお世話とはなんですか、と言うと色々ある。牛を放牧させること、そして牛の乳を絞ること。

牛を食べさせなければいけない。牛も運動をしなければいけない、運動したいわけです。ですから牛を放牧するということは、牛にとっても非常に楽しい時間なわけです。色々なところに言って草を噛むことができる。草を食べる、運動をする、そうすることによって牛たちも非常に喜ぶわけです。

牛を放牧する時間というのはまたどういう意味があるかというと、牛飼いの少年たちの時間でもあるということです。

牛を放牧させるとともに、牛飼いの少年たちと遊ぶ時間でもあるのです。

牛飼いの少年たちにとっては、牛を放牧させる時間であるとともに、クリシュナと一緒に遊ぶことができる時間を意味します。

サッキャラサの牛飼いの少年にとってはこの時間が非常に楽しいわけです。

ゴーピーたちにとっては、朝、ラーダーラーニーたちはナンダマハラージの家にきて、料理をします。料理し終わったら、ラーダーラーニーをはじめゴーピーたちは食事をとって、一息ついた後に、その時に、クリシュナを送るわけです、直接的間接的に。

そしてゴーピーたちは家に戻ります。

ラーダーはどうするかというと、太陽神の崇拝のために、スーリャクンダ、太陽神の崇拝のために出かけます。ラーダーラーニーの崇拝する、ラーダーラーニーの家系の崇拝するディーティーが太陽神というわけです。

ゴーピーたちは太陽神を崇拝する、クリシュナは森に放牧に行く。

そこでクリシュナは、どこかでゴーピーたちと合流したい、会いたいと思います。

そこで、そこかで適当な時間に、牛飼いの少年たちとしばらく遊んだ後に、ちょっと森を見てくるねと言って、クリシュナは若干の友達たちとその場を離れて、ラーダークンダに行来ます。ラーダークンダで昼のリーラーをするのです。

ラーダークンダで色々なゲームをしたり、水遊びをしたり、様々なリーラーをやった後に、クリシュナはまた牛飼いの少年たちと合流して、ゴーピーたちは先に家に帰ったりします。

クリシュナと牛飼いの少年たちは、牛を連れて森から戻ってくる時間帯があります。

その時に、たくさんの牛をクリシュナは連れています、想像を絶する数。何十万や何百万という牛を連れています。

ゴーピーたちはクリシュナに会っていたいけど、多くのゴーピーたちは結婚している、

いわゆる主婦なので、クリシュナにいつでも会えるわけではないので、いつもクリシュナに会いたいと思っています。

クリシュナが来た合図は、クリシュナの竹笛の音、もしくは、牛の音です。

たくさんの牛が来たときに音がするし、砂埃が舞う。ヴリンダーヴァンの村は建物が少なく、今でも少ないのですが、ラーダーラーニーの夫の村、ジャワットはとりわけ建物が少ないです。少ないとともに、ラーダーラーニーの家はタワーになっている、高層マンションというと言い過ぎかもしれませんが、少し高くなっているのです。そこに、見る場所があります。その塔の高いところがラーダーのマンションというか、住処で、塔があります。ブリシャバーヌマハラージが自分の娘、王女のために作ってくれたのです。

ラーダーはそこに住んでいて、そこに立って遠くが一望できるので時々外を見ます。

砂埃が遠くで待っているのが見えると、あ、クリシュナが帰ってきた、と。また、フルートが聞こえると、クリシュナが帰ってきたと、なるわけです。

そうするとゴーピーたちはみんな何気なく、さりげなく、窓に向かったり、塔の上の見えるところに行って、クリシュナを見るのです。家から出てくるのです。

クリシュナの目は、いつもキョロキョロしています。ラーダーラーニーやゴーピーたち、とりわけラーダーラーニーをいつも見つけようとしているのです。

私たちも子どもの頃、好きな人がいたときに、わざと好きな人の家の近くを通ったりします。ひょっとしたら会えるかも知れないと思って、偶然を装ってわざと通ることがあるのです。~さんが出てくるかもしれない。偶然出会えるかもしれないと思ってあえてその道を通るわけです。

クリシュナの目はいつもキョロキョロしています。ラーダーもゴーピーもいつもクリシュナを探しています。そこで目と目が合うと、非常に大きな喜びを得るのです。

とりわけクリシュナの眼差しは慈悲の眼差しです。ゴーピーたちのハートの中に突き刺さる。愛の炎が燃えてくるのです。このクリシュナの微笑みを見られるゴーピーたちは、きっと多くの敬虔な活動をしたに違いないということ。

ここで、「プンニャ」という言葉が使われています。

ヴェーダには、「プンニャ」と「パーパ」という言葉があります。

「プンニャ」とは、敬虔な活動のこと。

「パーパ」とは、不経験な活動、罪ということ。±の世界なのです、物資世界は。

「プンニャ」とは、ダルマに従った活動、もしくは他人を助ける活動を意味します。

「パーパ」とは、他人を傷つける活動、あるいは他人から奪う活動のことです。

「プンニャ」と「パーパ」によって、生まれるところが変わるということです。

敬虔な活動を積めば、私たちは天界のような、14界のうち、地球が真ん中の中位の惑星に。「プンニャ」を積めば積むほど上の惑星にいく、逆に「パーパ」を積めば積むほど下の惑星にいくイメージです。

究極な敬虔な活動をした人はどこに行くかと言うと、通常に行けば、通常に考えれば、物質界の最高の惑星に行きます。この物質界の最高の惑星が、ブラフマーの住む、ブラフマー・ローカ、もしくはサッテャ・ローカというところ。

確かにそうですが、さらに敬虔な活動をすればどこにいくかというと、地上のヴリンダーヴァンに生まれて、そしてクリシュナと交際できる機会を得る、ということです。すなわちクリシュナと交際できる、あるいはクリシュナを見ることができるということは、人生の最究極的なことというわけです。

精神界に帰るためには二通りの方法があると言われています。

一個一個階段を登るように上の惑星に行ってブラフマー・ローカに行く方法。

ブラフマロカは通常の死はない、通常の苦しみはない、非常に苦しみが少ない惑星です。ですが、最終的には死ななくてはいけないのです。このブラフマンと同じ行き先に行くということです。つまりブラフマンが精神界に帰れば、ブラフマー・ローカの住民たちも精神界に帰るということ。ブラフマンの悟りであれば、ブラフマー・ローカの生命体もブラフマンの中に入る。こんなイメージです。ブラフマンがまだ物質的な意識であれば、また物質界に生まれることがある。このようなイメージ。

もう一つの方法は、直接地球からヴリンダーヴァンに戻ることができる。すなわち、特待生というか、飛び級ができる場所が、この地球である。飛び級ができる、すなわち直接地球のような中位の惑星から、地球から、バイクンタ惑星へ、ゴーローカ・ヴリンダーヴァンへ入る道がある、あるいはそこに入る道がある、ということ。

この地球でも、高校に入ると、高校のレベルに寄って、試験をしなくても推薦で、ある特定の大学に入れる推薦入学というものがある。成績がある程度良くて、先生から推薦されると、大学に入れる。今は東大でもある程度のレベルで東大にも入れるようになった。それと同じようなもの。

私たちもグルから推薦されると、或いはヴァイシュナヴァたちやクリシュナから特別な推薦があると精神界に戻ることができるのです。

この精神界に戻る、最も一番近い場所というのがヴリンダーヴァンです。だから全ての進化の過程で、一番幸運な人たちはどこに生まれるかというと、ヴリンダーヴァンに生まれるということです。ヴリンダーヴァンに生まれるのも幸運ですが、さらにすごいのは、ヴリンダーヴァンで、クリシュナがリーラーしている場所に生まれる、すなわち、クリシュナのリーラーに加わる、これが究極的な一番の精神界に帰る最も近道だということです。

ですからここでマトゥラーの女性たちは知っているのです。

クリシュナに会えるということは、クリシュナに仕えられるということは、生命体の究極的な目的地であり、究極的な完成である、と。ですからゴーピーたちは敬虔な活動をしたに違いない、こういうことになるのです。

ですから一般的には、ヴリンダーヴァンに生まれた人たち、或いはヴリンダーヴァンに住む人たちは、特別な人だという認識が誰もにあるのです。ヴリンダーヴァンに行った時にそういう人たちに無礼はすべきではない、むしろそういう人たちの慈悲を得るべきだ、と、こういう考えに基づいているのです。

ですから、私たちがヴリンダーヴァンに行くということは非常に価値があること。或いは行けなくても、ヴリンダーヴァンを瞑想するということ、これが非常に価値があるということです。なぜなら、ヴリンダーヴァンに住むということは何を意味するかというと、本当のレベルで言うと、この肉体で住むということではなく、内的に、意識の中でヴリンダーヴァンに住む、ということだからです。ですから物理的にこの肉体がヴリンダーヴァンに住むと、徐々に意識もヴリンダーヴァンに住むことになるので、ですからヴリンダーヴァンにできるだけ長く居なさい、ということなのです。

『バクティ・ラサームリタ・シンドゥ』で、ルーパゴースワミーはこう言いました。

「ヴリンダーヴァンに住みなさい、もし住むことができなければ、瞑想の中で、心の中でいつもヴリンダーヴァンに居なさい。」

と、こういうことを言いました。

サドゥ・マハーラージャのお婆様がヴリンダーヴァンに住んでいました。おそらく、サードゥ・マハーラージャのお爺様が他界された後。

サドゥ・マハーラージャのお父様、つまりお婆様の息子様が居たのですが、病気がちで体が弱かったのです。その時、お婆様はもうヴリンダーヴァンに居てバジャンをしていました。ある時、息子、すなわち、サドゥ・マハーラージャのお父様が病気であり、お婆様が、息子のところに戻ろうと決意をしました。すなわちムンゲルに戻ろうとしたのです。

多くの友人たちやサドゥたちが何故?と聞きました。あなたはもうヴリンダーヴァンに住んでいて、もうほぼ完成しているではないですか、どうしてわざわざ物質界のムンゲルに戻る必要があるのですか、と。

そりゃそうです、晩年にヴリンダーヴァンにいて、ヴリンダーヴァンから外に出るなんてありえないのです。するとお婆様はこう答えました。

「私は今ヴリンダーヴァンに住んでいる。でも息子が病気であるとか、息子の困難な状況を聞いたときに、私の心はヴリンダーヴァンに居なくなってしまう。私の心は息子のところ、すなわちムンゲルのことを思い出す。これはヴリンダーヴァンに住んでることですか?」

と、こう言ったのです。

「だから今はムンゲルに言って息子の近くに行ったら、今度はそこで私はヴリンダーヴァンを思うことができる。」

と。

これは何を意味するかと言うと、究極的には、私たちの意識が重要であると言うことを意味しているのです。

プラブパーダは何年でしょう、10年近くヴリンダーヴァンに住んでいました。7~8年かもしれません。ヴリンダーヴァンでバジャンをしていました。プラブパーダもほぼ完成されていました。個人的には全く問題がなかったのです。

でも。アメリカに行くと言ったのです。多くの人が驚きました。何を言っているのですか、あなたはほぼ完成している、でもなぜわざわざ高齢になってアメリカに行くのですか。と。

当時、飛行機がほとんど飛んでいないため、船で行かないといけない、1ヶ月や2ヶ月はかかるのです。当時プラブパーダは高齢で、69歳でした。当時の69歳は今の69歳ではなく、今の感覚で言ったら90歳くらいです。90歳の老人がアメリカに行く、クレイジーだと誰もが言って誰もが止めました。しかし、プラブパーダは、「行かなければいけない、途中で死んでも行かなければいけない、なぜならこれはグルの命令だからである。」、と言ったのです。

「私はグルの命令を果たさなければ、ヴリンダーヴァンにいたとしてもそれは私の中で非常にまずい、グルの命令であればたとえヴリンダーヴァンの外で亡くなったとしてもそれは本望である。」、と。

ヴリンダーヴァンを去ってプラブパーダはアメリカに行きました。ところがプラブパーダの意識はヴリンダーヴァンにありました。プラブパーダの意識はスワルーパであったということです。常にヴリンダーヴァンでグルとグルに仕えていたのです。

もし精神界に行ったとしても、グルに仕えなかったら何の意味があるのですか。グルに仕えなかったら、クリシュナの近くに行けないと言うこと。ラーダーの近くにいけないと言うこと。ここがポイントなのです。

何のために精神界に行くのですか?自分の解放のためです、と、これは違うんです。仕えるために行くんです。だから仕えていると言うことに関しては、どこでも同じだと言うことです。だから、意識が重要だと言うことです。物理的なものはもちろん重要なのですが、それ以上に意識が重要だと言うこと。

だから私たちがいつも見るべきことは、私たちの意識はいつもどこにいるんですか、ヴリンダーヴァンにいるんですか、そこにグルがいるんですか、グルがいないんですか、ラーダーがいるんですか、いないんですか。ここが私たちが尋ねるべきところなのです。