クリシュナの前では、誰も逃れることができない

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 24−25節』

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同様に、ムシュティカは拳で主バララーマを殴ったものの、殺された。

主の手のひらの強い一撃を受けて、その悪魔ムシュティカは激痛のあまり体を震わせ血を吐き、息も途絶えて地面に倒れた。それは強風で木が倒されるかのようであった。

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チャーヌーラがクリシュナに殺されたように、同様にムシュティカという悪魔もバララームに殺されてしまったということです。

また次々に悪魔の格闘家が来ます。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 26節』

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王よ、次にクータという格闘家と対戦した最高の戦士、主バララーマは、戯れ、平然と左の拳で彼を殺した。

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『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 27節』

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クリシュナはそれから、シャラの頭を蹴り、トーシャラを半分に引き裂き、両者とも地面に倒れて死んだ。

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『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 28節』

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チャーヌーラ、ムシュティカ、クータ、シャラ、トーシャラが殺されたので、残った格闘家は皆、命が惜しくなり逃げ出した。

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『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 29節』

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それから、クリシュナとバララーマは、牛飼いの少年たちを呼んで、彼らが加わり、踊り、戯れた。彼らのアンクルベルは、楽器のように音を奏でた。

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クリシュナとバララームは牛飼いの少年たちを呼んだのです。

悪魔たちに勝ったので、子供ですから祝ったのです。踊って歌ったのです。

牛飼いの少年たちもアンクルベルをしているので、これが楽器のように素晴らしい音色を放ったのです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 30節』

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カムサ以外の誰もが、クリシュナとバララーマの素晴らしい御技に喜んだ。卓越したブラーフマナたちと偉大な聖者たちは、「よくぞやった!素晴らしい!」と叫んだ。

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たくさんの観客がいるわけですが、ほとんどの人が、カムサ以外、ひょっとしたら悪魔たちは思わなかったかもしれませんが、多くの人たちがクリシュナとバララームのお姿、そしてリーラーを見て喜んだのです。何故ならこれは誰が見ても宗教原則に反するかのような戦いだったわけですが、クリシュナとバララームは悪魔たちを殺したのです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 31節』

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ボージャ王のカムサは、最高の格闘家たちが殺されるか、逃げてしまったのを見て、本来、彼の喜びのために始めた音楽の演奏を止めさせ、次のように話した

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クリシュナとバララームによって、最高レベルの格闘家たちが殺されたか、或いは逃げてしまった。カムサは考えていたのです。ムシュティカとチャーヌーラでクリシュナとバララームを殺せるだろうと、こういう算段をしていたのです。ところが殺されてしまったのです。ですからここで非常に当惑するとともに、自分の死が近いということも薄々感じるわけです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 32節』

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これら二人のヴァースデーヴァの息子を街から追い出せ! 牛飼いたちの財産を没収し、愚かなナンダを捕まえろ!

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こらは面白いわけです。普通であれば、ヴァースデーヴァの息子、すなわちクリシュナとバララームを殺せ、というわけなのですが、殺せないことがわかったので、街から追い出せというわけです。逆に一緒にいる牛飼いたち、或いはクリシュナのお父さんであるナンダマハラージを捕まえろと。こう言ったわけです。

これが悪魔たちのやることなのです。

悪魔たちの心情というのはどういう心情かというと、

イーシュワローハン アハンボーギー シッドーハン バラヴァンスキー

こらが悪魔的な心情というわけです

イーシュワローハン 私が主人です

アハンボーギー 私が主人、私が楽しむものです

シッドーハン 私が完成している

バラヴァンスキー 私は力を持っていて、私は幸福だ

つまりどういうことかというと、自分が中心で全てが回っているということです。

全ての喜びの中心は自分であると。だから自分を邪魔するものは全部捕まえて殺せ、これが悪魔的な人の心情ということです。

この物質界ではこれが行われているということです。

悪魔たちというのは自分にとって都合の悪い人たちを捕まえて殺せというわけです、これが今でも起こっているということです。

さらに、もっと言うわけです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 33節』

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最も邪悪なヴァースデーヴァを殺せ!私の父グラセーナも、我々の敵方についている彼の従者とともに殺せ!

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すなわちこのマトゥラーのお父さんであるヴァースデーヴァも、そして自分の父親も殺せと言っているのです。これが悪魔のやることです。悪魔たちにとっては、自分以外は信じられないと言うことです。ですから父親ですらも殺す、或いは場合によっては家族でも殺すと言うことです。ですから自分の都合の悪い人たちを捕まえて殺す、ということ。これが昔から、クリシュナの時代からあるのです。或いはもっと前からあるということです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 34節』

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このようにカムサがあからさまに叫んだので、主クリシュナは激怒し、素早く、軽々と帝国の演壇に乗った。

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カムサは死ぬ前に悪あがきをしているのです、クリシュナとバララームを殺せないと思ったら、クリシュナの親族を捕まえて、或いは殺せ、とこう言うわけです。ですからこのカムサを懲らしめないとダメだということでクリシュナは怒って、そして演壇に登ったのです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 35節』

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主クリシュナが死の権化のように近づいて来るのを見た頭のいいカムサは、すぐに席を立ち、剣と盾を手に取った。

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悪魔たちにとって、クリシュナは死の権化のように見える。

愛を持っている人にとっては、クリシュナが家族のように、或いは恋人のように見える。

ここで興味深いのです。頭の良いカムサたち、と書いてある。悪魔たちと言うのは実非常に頭が良いのです。場合によってはヴェーダもよく知っているのです。ただ唯一の違いは、悪魔とスラ、或いはデーヴァの違いは、至上主を主として認めるか認めないか、これが違うのです。

悪魔たちは至上主の存在を認めないのです。

何故なら、イーシュワローハン、ですから、私が主人だ、私以外の主人はいない、とこういう考え方です。ところがデーヴァたち、スラたちはどういう考えるかと言うと、私たちは主人ではない、私たちは僕であるということです。

この考え方が違うのです。

ですから悪魔たちの世界も、ある界の惑星は、バーガヴァタムを読むと、第二の天国のようであると、場合によっては天国よりもさまざまな便宜が図られている、と言うような記述があるのです。これは何を意味するかというと、科学的、もしくは物質的には発達していると言うことです。

ただ違うのは、至上主に対してどのように接するかということです、敵として接するのですか、或いは主人として接するのですか、と、これが大きな違いなのです。

残念ながら、カムサは逆の悪魔であったということです。

よくよく考えると、カムサは叔父さんなのです。何故ならば、クリシュナの母親はデーヴァキーなのです、マトゥラーの母親は。このデーヴァキーの兄なのですから、クリシュナにとって叔父さんにあたる。叔父さんが悪魔であった。この叔父さんをクリシュナは殺さなければならなかったのです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 36節』

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手に剣を持ったカムサは、空中の鷹が素早く、一つの場所から別の場所に動くように動いた。しかし、恐ろしく抵抗不能の力を持つクリシュナは、タールクシャの息子(ガルーダ)が蛇を捕まえるかのように、力強くカムサを捕まえた。

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マレ

クリシュナ

ラケケ

ラケ

クリシュナ

マレケ

という言葉があります。どういうことかというと、もしクリシュナがある人物を殺そうとしたら、誰も助けられない、もしクリシュナがある人を守ろうとしたら、誰もその人に害を加えることができない。と、こういう言葉があるのです。

ですからクリシュナの前では、誰も逃れることができないということです。クリシュナの前では誰も逃れることができない。

クリシュナは時にはどういう姿で来るかというと、時の姿で来るのです。

私たちには幸か不幸か寿命があるのです。誰もこの肉体では永遠に生きることができないのです。必ずどこかの時点でこの肉体を離れなければいけない。ですから、時はクリシュナの現れと言えるわけです。ですからどんなに強い王でも、皇帝でも、時が経つと、或いはカルマが、敬虔な活動の徳が尽きると、終わってしまう、或いは殺されてしまう、死んでしまう、とこういうことです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 37節』

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主クリシュナは、カムサの髪の毛を掴み、王冠を叩き落とし、高い座から引きずり落とし、闘技場の敷物の上に放り投げた。それから、宇宙を維持する独立した王は、自分の体を放り投げてカムサの上に乗った。

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私たちが高い地位についたりするのも敬虔な活動の結果です。

この敬虔な活動の結果が終わると、引きずり下ろされるということです。

悪魔たちはどう考えるとかというと、自分の力で高い位置についていると思っているのです。自分は何でもできるというふうに考えます。

ところが至上主は、資格のない者を高い地位に留めさせない、或いは資格のあるものを低い地位に留めさせないということです。マーヤ、クリシュナは直接しないです、一般的には。クリシュナは自分のエネルギーを使ってそうさせるということです。クリシュナのエネル溥儀ーにはいくつもあるのですが、最も重要なエネルギーは、物質エネルギー=マーヤ、マハーマーヤと、精神エネルギー=ヨーガマーヤということです。

マハーマーヤ=幻想、物質的な幻想エネルギー、原因エネルギー、とは二つの働きがあると言われているのです。

どういうエネルギーですか、というと、私たちの知性を覆うということです。

もう一つの働きは、引きづり落ろすという働きです。資格のない人たちを、高い地位から引きづり落とすいう働きがあるのです。

世の中にはたくさんあるのです。王とか皇帝の地位についたとしでも、ある時期が来ると引きづり落とされる、殺されるなり、失脚したりはよくあることなのです。これも全てマーヤがやっているということです。実際はそれはカルマの働きなのですが、それをマーヤが援助しているのです。

私たちは幻想に入る時二つの入り方があるのです。

知性、知識が覆われてしまう。すなわち忘れるということです。忘却ということです。

忘却はどこから来るのかというと、忘却はクリシュナからくる、スーパーソウルから来るというのがギーターの教えです。ギーターの15章の15節に書いています。言われているの知識、知性は覆われる。次になされることが、引きづり落とされるということです。物質エネルギーの影響によって引きづり落とされるということです。

ではどうやってこの物質エネルギーを克服することができるのですか、

と、これが、ギーターの7章の14節に書かれているのです。

「クリシュナに身を委ねることによって、このマーヤを克服することができる。それ以外には方法がない」ということです。

物質主義者は、苦行や自分の力で克服しようと考えるわけですが、実際はそれはうまくいかないということです。

私たちにできることは、主に身を委ねること、これが1番の安全策であり、物質エネルギーを克服する唯一の方法である、ということです。