どうしたら愛を持てるようになるのか?

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 38節』

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ライオンが死んだ象を引きずり回すかのように、そこにいる誰もがカムサの死体が見えるように主はそれを地面に沿って引きずり回した。王よ、その場所にいる誰もが「ああ、ああ」と大声で泣き叫んだ。

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ここでクリシュナはカムサを殺したのです。ですが、カムサを殺したのですがただ殺したのではない。皆が見えるように地面に沿って引きずり回したのです。

よく世の中でもあるのです。ある敵を殺したというのですが、本当にその人が死んだかどうかわからない、証拠がないという場合がある。

ある人は、マスコミを使って死んだと言います。しかし本当は死んでいない場合もあるのです。なぜなら証拠がないからわからない。

でもクリシュナの場合は、これを皆に見せたという事です。

もう明らかにするように、カムサは死んだと。すなわち悪魔の王は死んだということを明確にしていると言うことです。ですから誰もがもう認識してしまったということです。

この、「ああ、ああ」と泣き叫んだというのは誰が泣き叫んだのか、これはカムサの側近たちやカムサのお世話になっている人たちは、ああ、ああ、と、自分たちの王様が死んでしまったと、主人が死んだということです。

ところがカムサによって苦しめられた人たちは逆の反応をするということです。

この世の中には、2種類の人がいるのです。

一つはデーヴァ、もしくは、スラ、という、いわゆる敬虔な人々。至上主を信じるという人たちです。

もう一つは、アスラ、と言われている、いわゆる悪魔的な人たちです。日本ではこのアスラが、アシュラになって、仏教では阿修羅と伝わっています。

阿修羅というのは、至上主に反する人たち、自分が主人だと思う人たちのことを言っています。

ですからこの世の中には2種類の人たちがいるということです。

今生きている私たちの現在でも2種類の人たちがいるということです。

至上主を信じる人、そして至上主を信じない人。自分が主人だと思っている人たち。これは、多かれ少なかれ二つの性質に分かれるということです。

ところがこの世の中には無知のために、そういう行動をしている人たちもいるということです。

まず、ネイチャーが、悪魔の人、悪魔的な人と、ネイチャーが、デーヴァ的な人がいるのです。

ですが、無知のために、本当は悪くない人なのですが、悪いように振る舞っている人もいるということです。

これは何故かというと、交際のためです。

例えば悪い人と交際したらどうしても染まってしまうのです。染まってしまうと、ハートが汚れてしまうとそうなってしまうということです。

この世の中にもよくあるのです。マスコミにもあるのです。ある人たちが自分の利益のために、国の利益と相反することをすることがあるわけです。

いわゆる賄賂をもらったり、色々な接待を受けたりするわけです。

その人たちは本当は悪い人たちではないかもしれないけれど、そういった交際によって、悪い人みたいになってしまったという、こういう人がいる。

ですから、この交際、というのが、非常に私たちの人生において、非常に大事になるというわけです。

例えば自殺願望の人と交際していたら、自分もああ自殺しようかなという氣になってしまうということです。

非常に前向きな人と交際していたら、自分も大丈夫かなという氣になってくるということです。

これは皆さんにも経験があると思います。

ですからこの、何で交際が大事かということです。

何で交際が大事かというと、ヨーガというのは、心を制御すること、とヨーガスートラに書いています。

ヨーガチットブリッティニローダハ

ブリッティとはどういうことかというと、思い、ということなのです。

湧き出る思い、ということです。

私たちは黙っていると、いろいろなことを考えはじめるのです。

今日は何を食べようか。

今日は何をしようか。

これしなきゃいけない、これしなきゃいけない、

あのことはどうだったかな、

あ、電話しなきゃいけない。

こういう形で色々な思いが浮かぶということです。

この思いはどこから来るのですか、というと、交際から来るのです。

例えば皆さん経験があるかもしれませんが、寝る前にホラー映画を見ました、そしたら夢で怖い夢を見ました。という経験がある人もいると思います。

あるいは寝る前に、クリシュナの話を聞きました。そしたら幸運な人は夢でクリシュナが出た。

ある子供が、クリシュナの話を色々聞いていた。その人はラーダーの髪の毛をとかしたいという望みがあったのです。クリシュナの話を聞いて。ラーダーの髪の毛をとかしてみたいといつも思っていたら、夢でラーダーが出てきて、ラーダーの髪の毛をとかした。ラーダーが綺麗だった。と、このようなことです。

すなわちホラー映画と交際したら怖い夢を見た。ラーダーの話を聞いたらラーダーの夢を見た。

すなわち、交際によって、意識が、思いが、考えが変わるということです。

よく考えてみてください。私たちが行動する前に、偶然行動しているのではないのです。行動する前に必ず、行動を起こそうという思いが起こる、考えが起こるということです。

この考えはどこから来るのですか、というと、チッタから来るのです。心の中の貯蔵庫から来るのです。

これをサンスカーラというのです。

つまり心の中で今まで抱いた考えや経験やインプレッション、心の中に印象がたくさん残っている。それが私たちの性格とか行動様式とか様々なものに表現されるということです。

それが、交際によって変わるということなのです。

何で私たちはヴェーダ経典、とりわけバクティの経典を聞くことが勧められるのですか、という回答は、この、チッタブリッティ、私たちの思考、考え、思いを変えるためなのです。

自己を悟った魂と交際していたら、自分も自己を悟るようになるということです。

堕落した人と、例えばお酒を飲む人と、あるいはギャンブルをする人と交際していたらどうなるかというと、当然お酒を飲んだり、ギャンブルをするようになるということです。

これはよくあるパターンです。

でも私たちがやろうとしていることは、このチッタブリッティをどこに向けるかということです。

どういう思いを持つべきか、ということです。

私たちが持つべきものは、永遠なるもの。

知恵や知識、意識のあるもの、そして、至福、喜び、幸せのあるもの、これに心を向けたい、ということです。

そうしたものと交際していけば、私たちも幸せになれるということです。

ですから幸せになる方法は実にシンプルなのです。

幸せな人と交際すれば良いということです。

不幸になるのはすごく簡単です。

自分が不幸だと言っている人と交際すれば不幸になる。

ここでクリシュナは、カムサを殺した。

次の節が非常に面白いのです。

何が面白いかというと、カムサはどういう意識でしたか、ということです。

『シュリーマド・バーガヴァタム 第10篇 3巻 第14巻 44章 39節』

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カムサはいつも自分は至上主に殺されるという思いに取り憑かれていた。それゆえに、カムサは、飲食の時も、動いているときも、寝ても覚めても、呼吸をしているときも、目の前にチャクラを持っている主をいつも見ていた。こうして、カムサは主と同じような体を持つという稀な祝福を得たのである。

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カムサは、このバーガヴァタムの見解によれば、主と同じような体を持つという祝福を得たと書いています。

どういうことですか?

カムサは悪魔ではないのですか?

悪魔です。

ところが、カムサは、カムサのチッタブリッティ、いつも考えること、カムサの思考の中には、クリシュナがいつもあったのです。

ここにあるように、チャクラを持ったクリシュナの姿をいつも見ていた。

カムサは本当に悪魔なのか?

デーヴァではないのですか?

という質問が出ると、鋭い質問です。

実はカムサは悪魔のように見えますが、実は主の信者であったのです。それがバーガヴァタムに書かれているのです。

ある時クマーラが、宇宙中を旅していました。

クマーラはブラフマンの息子です。自己を悟ったブラフマンを悟った魂なのです。

ある時に、バイクンタに入ろうとしました。そこには門番が立っていました。入れさしてくれと言いましたが、門番がダメです、と答えました。なぜダメなのか尋ねると、

あなたたちは裸ではないですか。クマーラは5歳くらいの子どもなのですが、自己を悟った聖者なので着ることはあまり氣にしていないのです。

ですから裸の子どもみたいに来ているのです。

クマーラが怒りました。

あなたは、肉体を見るのですか?あなたは私たちの外側だけ見るのですか?それは主の信者の態度ですか?

と、こう言ったのです。

主の信者は、魂を見るのではないのですか?

なぜ、外見で判断するのですか?

わたしたち、主の信者が来たのに、なぜ主の信者を追い返すのですか?

と、こういう論理です。

クマーラは怒りました。

あなたたち、肉体次元で見ているような人たちには、門番になる資格はない。

だかあなたたちは、堕落しなさい。

と。そして、呪われたのです。

それで悪魔として生まれるようになったのです。

すなわち至上主の信者の心情ではないということです。

ところが、そこに至上主が出てきたのです。

これはどうもすみませんでした。

私たちの門番が大変失礼なことをしました。

と。そしてクマーラが承保したのです。

3回だけ、悪魔として生まれたなら、元のポジションにら戻って良いと。

そして3回だけ、悪夢として生まれるのです。その最後が、このカムサである、とも言われています。

いずれにしても、カムサは、クリシュナに執着しているのです。

クリシュナに殺されるのを恐れていたのです。

ですからクリシュナのことをいつも考えていた、といえば、クリシュナ意識なのです。

ところがカムサの想いはネガティブだったのです。

愛がなかったということです。

だから、クリシュナとあるいは主と、主のすごく近くに行くことはできなかった。同じ姿を持つことはできたかもしれない。ですが、主の近くに行くことはできなかったのです。

もし私たちが、愛を持ってクリシュナを瞑想していたらどうなるのですか。クリシュナの近くに行くことができるのです。

これ、よくよく考えてみてください。

皆さんが誰と付き合いたいかということを考えるのです。

ある人が、ネガティブなことをいつも考えている人がいるのです。

ある人たちが、すごく愛してくれる人たちがいる。

そしたら私たちはどちらと交際したいですか?

私たちの思考は愛している方を近くに置きたい、ネガティブな人は少し距離を置こうという発想になります。

ですからクリシュナも、同じような発想をするのです。愛を持っている人には、すごく近くに置いて、そうではない人たちは少し外に置くのです。

逆を言うと、それがその人たちの望みとも言えるのです。

ではどうやったら愛を持てるようになるのですか?というと。

その回答は、先ほどと同じなのです。

愛を持っている人と交際したら愛を持つようになる。

妬みを持っている人と交際したら妬みを持つようになる。

恐れを持っている人と交際したら自分にも恐れが来るかもしれない。

ですから、ヴェーダの中では、サードゥと交際しなさいと言っているのです。

サードゥというのは、すごく高い段階にいる聖者ということです。

このサードゥの捉え方によって、各派が違うのです。

例えば非人格的な哲学者にとっては、サードゥというのは非人格的な哲学で高いレベルにいるサードゥということです。

例えばヴァイシュナヴァにとっては、ヴァイシュナヴァのサードゥにとっては、愛の高い段階にいるということです。

この、愛を持った人を何というかというと、プレーミーバクタ、というのです。あるいは、ラシカヴァイシュナヴァ、というのです。

すなわち、ラサを味わっているヴァイシュナヴァ、ということです。あるいはプレーマを持っているバクタ、ということです。

ところが、問題があるのです。

このラシカヴァイシュナヴァを探すというのは非常に大変なのです。

ある時、ある人が、食事をあげようとしたのです。いわゆる、パンダーラと言うのですが、たくさんの人を集めて、食事を配ろうとしたのです。なぜ配ろうとしたのかと言うと、自分を浄化するためですよね、例えば私たちも先祖供養するとか、自分を浄化するために棄捨する、寄付する。

ある時、サードゥマハーラージャのグルデーヴァが言ったのです。

たくさんの人を食べさせるのは良い。素晴らしいことである。しかし、資格のあるブラーフマナを食べさせたら、さらに恩恵がある。と。

例えばですが、普通の人に食べさせたら、一対一が返ってくるということです。

つまり、1やったら1リターンするということです。利子が何もつかないということです。

ところがブラーフマナに寄付したらどうなるかというと、その資格の度合いによって、2倍に返ってくる、最高で100倍とか、分かりませんが、千倍かもしれませんが、度合いが違うということです。

そしてブラーフマナよりも価値があるのは誰かというと、ヴァイシュナヴァなのです。

では私はヴァイシュナヴァを招待したいとその人が言って、ヴァイシュナヴァを招待した。

するとまた、ヴァイシュナヴァを招待するのは素晴らしい。しかし、ラシカヴァイシュナヴァ、プレーマを味わったヴァイシュナヴァを招待するのが最高である。と。

そしてその人が、私はラシカヴァイシュナヴァを招待したい、是非教えてください、と言いました。

ところが、サードゥマハーラージャのグルデーヴァは、それは非常に難しい、と言いました。

なぜ難しいかというと、ラシカヴァイシュナヴァは、自ら、自分がラシカヴァイシュナヴァとは言わない。自己を悟った魂は、自分が自己を悟ったとは言わない。隠れている。こういう場には出てきたがらない。だからそういうヴァイシュナヴァを見つけるのは非常に困難だ。ラシカヴァイシュナヴァを見つけるためには私たちも見る目を持たなければいけない。

こう言ったのです。

ですから例えばプラブパーダがインドにいる時、誰もがプラブパーダのことを理解したわけではないということです。

ゴッドブラザーズですら、多くのゴッドブラザーズが理解できなかったのです。

アメリカに渡って、何千もの、あるいは何まんもの、何十万、あるいはそれ以上かもしれませんが、沢山の人たちをヴァイシュナヴァに変えていったのです。その時に、皆の評価が変わったということです。

ですから、とりわけ他界した後に、さらに評価が高まったかもしれないのです。

よく画家にもありますよね。生きている時には評価されない。しかし亡くなったら評価される、こういう画家もいるのです。

しかしその時には遅い場合もあるのです。

いずれにしても、このカムサの節は非常に面白い節なのです。

バクティは、クリシュナを思う、というのがあるのです。クリシュナを意識するという。

しかしひとつだけ、重要な点があるのです。

クリシュナを好意的に思う、これが大事なのです。

私たちは友人であり、仲間のことを好意的に思う場合と、好意的じゃなく思う場合があるのです。

愛とはどういうことかというと、好意的に思うということです。

好意的に思った時に、好意的な行動になるのです。これがいわゆる、ディヴォーショナルサービス、これが、バクティ、主への愛情奉仕、ということです。ですから非常にここは繊細だということです。

今日のポイントです。交際が最も重要である、ということです。交際で私たちの思考が変わる、思いが変わる、意識が変わる、ということです。

そしてクリシュナを思う場合は、どんな形で思っても良いのです。

しかしできれば、好意的に思う、ということなのです。

ヴァイシュナヴァのことを思う、できれば好意的に思う、ということです。

クリシュナを好意的に思うと、どんどんどんどんクリシュナの近くに行ける、ということです。クリシュナをネガティヴに思えば思うほど、クリシュナから遠くに行くということです。

これがカムサのところから学ぶことができるということです。